考えたり何か言わずにはいられない葦

主にエッセイ。心理のあれやこれやに魅入られた理系大学学部卒がつれづれと書きます。

初志貫徹 VS 自分の本音

「『カウンセラーをやるって言ってたけどやめます!』って昔君が出した投稿から、ちょうど1年経ったよ!」と、FaceBookがこの間ご丁寧に通知を出してきた。

最近の私は、自分がコーチングが一番やりたいのかなと振り返りをして、そろそろ周りに言いふらそうかなと思っていたところだった。
我ながら目標が定まらず、ふらふらしていると思う。誰かに優柔不断だと言われてもしょうがないとも思っている。
ただ、私は、初志貫徹なんて言葉はくだらねぇと人一倍思っている。



私の高校時代までの夢は、宇宙飛行士になることだった。
小学校2年生から高校2年生まで、自分が宇宙飛行士になると信じて疑わなかった。
当時すでに好きだったONEPIECEのルフィと、自分とを重ね合わせていた部分があって、心から夢を信じて口に出して、行動をすれば、自分は夢を叶えられると本当に信じていた。
私が高校2年時の分離選択で迷わず理系を選択したのは、日本人宇宙飛行士の募集条件が自然科学系大学卒だったからだった。

社会人になってから、とある知り合いの人に、この話を笑いながらたしなめられたことがある。
おまえって宇宙飛行士になりたいとかでかい話を周りの人に言う割には初志貫徹できないよね、と。
私はその人に言い返さなかった。
まぁ周りから見ればそういうふうに確かに見えるだろうから事実でもあるだろうから
私が初志貫徹できないっていうのは本当でもあるだろうしな、という気持ちと、
その人に詳細を説明する気にならなかったというのがある。

私が宇宙飛行士の夢を貫徹しなかったのは、今もはっきりと覚えている理由がある。
理由は、好きな人が出来て、死にたくないと真面目に考えたから。
宇宙飛行士は危険性の高い職種であるため、フライト時には家族に遺書を残すらしいことは知っていた。
当時本気で好きになって交際することになった人との未来を高校生なりに想像した時に、大事な人を残してまで死ぬかもしれない人生を送りたくないと思ったからだった。

いくらやりたいことがあっても、自分の命の危険をかけてまでやりたくないと気付いたことは高校生のときの私にとって、とても重要な気づきだった。
私が自分の夢をほぼ簡単にやめられたのは、
やりたいことを実現するよりももっと大事なものを見つけられた、という自信と自覚があったから(*1)。
大事にしたい価値観が見つけられたなら、初志貫徹も、かっこいいかどうかも、正直どうでもいい。
かっこいいならそれに越したことはないと思うけど、
自分の大事な価値観がぶれるなら、初志貫徹とかどうでもいい、と私は思っている。
 
 
オリンピックのメダリストのように、ONEPIECEのルフィのように、ひとつのことだけに人生を注ぎ込めるならそれに越したことはないけれど、現実的に、初志貫徹できる人ってそもそも多くない(*2)。
初志貫徹したところで結果が出ないケースもある。
迷いが生じない人は、おそらくもっといない。
だったら、初志貫徹よりも自分が本当に大事にしたいもの守り続けることの方がよっぽど重要なんじゃないかと、私は思うわけです。
そのために、自分が大事にしたいものというのを日々自覚しておくというのはめっちゃ人生に必要なことだと、私は思っています。

 


(*1)宇宙飛行士を諦められたのは後悔も何もないけれど、夢を諦めたことで理系選択した理由もなくなったので、そこはもっと慎重になるべきだったなーとは思った。過去には戻れないとも思っているのであまり気にしたりはしないけども。

(*2)もしかしたら、仕事がデキてかつ目標をがんばって達成した経験がある人ほど、初志貫徹が大事だと考えるのかもしれない。そして挫折した経験がある人は、自分を肯定するために、ただ初志貫徹なんて必要ないと言ってるだけで、文字どおり右往左往している私はただ過去と今の自分の挫折を肯定したいだけかもしれないですね。